沼落ちはとつぜんに

唐突にセクゾ沼に落ちた大人。語りたいので作りました。

日本文学の旅、感想

日本文学の旅、あらためてお疲れさまでした〜〜。
私自身の好き嫌いでいうと正直好き、とか面白かった、 とか言いきれない部分があるのですが笑
いろいろと配慮がきちんとされていて、イケている作品だなあ、 と思ったので、感想をきちんと記しておきたいと思います。

<概要>
もともとオリンピックに向けて日本の文化を国内外に発信する日本博の一環?とのことで日本文学作品を紹介していくという作品。
橋本くんは舞台となっている架空の図書館の蔵書のことは何でも知っている司書さん、 共演の新納さんは日本文学の旅を橋本くんに所望する一般的な(?) 読書家の役柄です。
二人の掛け合いで作品の背景などを紹介しながら、 抜粋された日本文学作品を二人で朗読します。

<日本文学(古典)への出会いのきっかけとして>
企画された時点ではオリンピック案件?ということもあり、 外国の方も含めた「 古典にあまり触れ合ってこなかった人に古典との出会いを提供する 」が一つのテーマだったと思うのだけれど、 私自身も古典はほとんど何も知らない( 中高時代古文の授業が大嫌いだった)タイプの人間だったので、 触れ合える機会を提供してもらえた、 というのは素直にうれしかった。
そういう意味ではジャニーズアイドルである橋本くんの起用はかな り納得感があって、 とっつきにくいなと思われがちなジャンルに対するジャニーズの起用はすごく好き。(ニュースシブ5時へのセクゾの起用とか)
ともすれば中高生にとっては「かっこ悪い」 と思われるかもしれない、 でも知っていたほうがいいことへの架け橋にジャニーズがなっているのは希望が持てるなあ、なんて思います。
劇中で「 古典って読もうって思っているうちに何十年とすぎていくんだよな 」「古典とはそういうものです」っていうやり取りがあったけど、 私も今回の舞台をきっかけに何作か読んだので、 ほっとくと読まないまま人生を終えてしまう古典を読む機会をもらえたのは本当に感謝!

一方で、 初見の日私自身がついていけなくなってかなりウトウトしてしまったのもありw、 古典を知らない人からすると少し内容が難しかった( 言葉を選ばず言うと国語の授業感が強すぎた)ように思います。 平家物語の部分が一番眠気との戦いだったんだけど、 古典の原文の朗読はあの長さだと途中で置いて行かれるともうダメ ~ってなちゃったかも。

<言葉の音と橋本くんの成長について>
本作は音楽朗読劇ということもあり、「 音楽のように日本語の響きを楽しむ」がテーマだったのかな、 と思います。
枕草子とか、 朗読に合わせて音楽だけではなく足音とかカラスの鳴き声とかまで音楽班が再現してくれていたのを見て、 すごく贅沢な言葉の楽しみ方だなあ、と思いました。
私自身、 言葉は好きなんだけどその比重が外国語に偏っているので、 今回の日本語の美しさを理解しきれたとは到底思えないんだけど、 それは私自身の問題ですね( 私の日本語への軽視は私の自己肯定感の低さが日本という自身のルーツへの低評価につながっているのが一因だとおもうので、 そこも含めて今後克服していきたいな、と思ったり)

同時に、言葉の響きがカギになる作品なので、 橋本くん超慎重に読んでるなー!って思いました。 そして担当に対するひいき目があるのは自覚しているけど、 ほんとにほんとに橋本くんうまくなった。 初日ちょっとびっくりしちゃったもん。
橋本くんの演技って良くも悪くも勢いがあるというか、 ご本人があまり日本語が得意そうじゃないのもあり笑、 切り方おかしいよね?とかイントネーション?? ってことがままある印象だったけど笑、 今回はそれがほとんどなくて!!!
本人も千秋楽ですずかつさんに指導してもらったと言っていたけど 、本当にびっくりしました。声もめっちゃ出ていたし。
やっぱり自粛期間中にいろいろ思うところがあったのかしら、 と勝手ながら想像し、オタクはうれしくなりました。 次回の現場にも生かしたい、とも言っていたけど、 このご時世に前を向き続けるその姿勢にもかなりグッときちゃった 。

<役者と役柄のオーバーラップ>
事実として、今回客席の8割がた(もっとかな笑) 橋本くんのオタクだったと思うんだけど、
観客が「橋本くんは若いイケメン」「 新納さんは壮年のベテラン俳優」 という共通認識を持っていることを前提としたセリフや演出が多くて面白いなと思いました。
例えば、源氏物語平家物語では「美少年側」 を橋本くんが読み続けたり、風姿花伝では「 美少年は特例だがそうでなければ壮年の役者は-」 という話を橋本くんが新納さんに対して読んだりとか。
昨今はリアリティショーの問題とかから、 役柄とキャスト本人を混同させるのってどうなの? という話があったりもするけれど、 客席に合わせてクスっとできるような演出は面白いな、 と素直に思ったな(テレビと違って客席がある程度特定? できるのが舞台のいいところだともおもうので)
逆に言うと、オリンピックがあって、 客層のバラエティがもうちょっと広がる状況だったらこの辺は全然違ったのかなあ、とか考えてみるのも結構面白かったり。

<世情への配慮>
感染対策はもちろんだけど、 世情への配慮がところどころに感じられていい作品だな、 とおもいました。
コロナの件については、 随所にみられるソーシャルディスタンスポーズや、 開演前の注意のナレーションなどである程度茶化してくれることに よって、「劇場に来る」 という行為で気持ちがナーバスになっている観客を温めてくれてありがたいな、と思いました。
あとはやっぱり女流文学の件と、私の個人主義かな。
女流文学は、「そもそもその言葉ってどうなの?」 という疑問はきちんと呈しつつ、 事実として文壇が男社会だったことやその原因として男女の教育格差があったことを否定せず明言するのはかなり好きでした。 客席のほとんどが橋本くんのオタク= 女性であることをかんがみるとなおさらね。
「私の個人主義」は、本作品が「日本博」の案件であることから、 ともすればナショナリズム的な作品になってしまうところをきちんとけん制するというか、 ナイスチョイスすぎてちょっとびっくりしちゃったもんな。 青空文庫で読んだのだけど、 このタイミングで読むきっかけをもらえたことも感謝感謝なので、 みなさんもぜひ読んでみてほしい。

あとは、朗読される最後の作品で桜桃の「私は、悲しい時に、 かえって軽い楽しい物語の創造に努力する」 という一節を選んでいること。いまは世界的に「悲しい時」 と言ってしまって良いと思うのだけれど、だからこそ、「 軽い楽しい」気持ちを忘れちゃいけないよね、 というメッセージかなあ、とかおもってました。 いやこの一節も本当にナイスチョイス。

<本に出会うまでの道筋>
これは先日Defiledのリーディングに行ったことも大きいのだけれど。
Defiledでは「出会うまでの道筋も読書の一環だ、 自動化なんて絶対ダメ」 という主張をハリーがしていたように思うけど、 日本文学の旅の司書さんの案内は自動化にすごく近しいように感じました。(というか司書さんAI的ななにかかかな、、 とか私は思ってた)
司書さんが言うように、「 人生は短いんだからある程度効率的に自動化機械化を受け入れて生きたほうが本をたくさん読める=遠くに行ける」 のは事実だろうと思う。
けどこれって生の観劇と映像配信とかでも同じだと思って、 こないだブログに書いたように、「行くまでの準備や道筋」とか「空間」も含めて私は観劇が好きだなと思うのもまた事実。
今は勝手に(?)感染対策の名のもとに自動化、機械化、 配信のほうに誰もが傾いていると思うし仕方ないと思うんだけれど 、
遠回りにはなるけれど、「自分で本を探してみる」「 劇場まで足をはこぶ」 という選択肢でしか味わえない感情があることも忘れないでいたいなあ、と思うんです。
まあ一方で今後どうなるかわかんないから、 そんな感情忘れちゃったほうがうまく生きられる気もするけどね! Defiledのハリーも結局死んじゃうしさ!


とっちらかったけど以上です!現場の感想書けるの、 普通にうれしいな!笑