沼落ちはとつぜんに

唐突にセクゾ沼に落ちた大人。語りたいので作りました。

世界は変わらないけれど-舞台『Oslo』感想-

こんにちは!先日、イスラエルパレスチナ間の1994年の和平交渉(オスロ合意)の裏側を描いた、V6の坂本さん主演の『Oslo』を見てきたので感想を書きたいと思います。(ちなみに見に行ったきっかけはA.B.C-Zの河合君が出ているからです)

正直、歴史ものなので、結末は知っているじゃないですか。オスロ合意が為されたことも、だけどその後のオスロプロセスは失敗に終わることも。だから行く前は、「オスロ合意そのものだけをピックアップして礼賛するような舞台だったら冷めちゃうな、、」と思っていたんだけど、そんなことはなくて、いろいろと思うところがあったので、ブログを書くことにしました。

見て思ったこと、「世界は変わらない」「だけど、それでも」ということです。

私たち、別に行動とかはしてなくても、心のどこかで「世界が平和になったらいいな」とか「戦争も貧困も災害もなくなったらいいな」みたいな気持ちをもってるかな〜と思います。そして、ぼんやり、いつか奇跡みたいなことが起こって、平和な世界が訪れる日もあるかな、みたいな。(日本みたいに、いわゆる「平和な」世界を生きているとなおさら。)

舞台「Oslo」で坂本さんが演じるノルウェー社会学者のテリエは、そんな思いをさらに具体化させた人物です。外交官の妻モナと訪れたイスラエルで、イスラエルの少年とパレスチナの少年が武器を突き付けあっているのを見て、「中東に和平を」という思いを抱き行動を開始します。(ちなみにですが、舞台のポスターなどに書かれたキャッチコピーは「リスクを冒す価値はある。成功すれば、世界を変えることになる!」です)

具体的には、当時は膠着状態にあった多国間協議とは別に、秘密裏にイスラエルパレスチナ間の交渉の場を提供していくわけですね。当時のイスラエルでは公人がパレスチナPLO)の人間と会うことは法律違反だったりしたので、経済学の研究のための意見交換、という体裁から初めて徐々に徐々にプレイヤーの権限を上げていく、ということを実施していました。
最初からすべての論点で合意を目指すことはせず、一つ一つ解決していこう、これがテリエの推奨する漸進主義です。並行して行われていたのが、「個人同士の友人関係を結ぶこと」です。徹底して交渉の場以外では互いは友人である、ということを言い聞かせ、ともに食事をとり、酒を酌み交わし、信頼関係を築いていきました。
私もこの舞台を見るまであまりピンと来ていなかったのだけれど、イスラエルパレスチナ間の対立って思った以上に根深くて(歴史的・宗教的な背景もあるしね)、交渉のプレイヤーたちも互いの国の人に初めて会った、みたいな状態なわけです。さらに交渉中も武力衝突とかは起こっていて、正直交渉の余地、なくない、、?みたいに思うんだけど、それでもあきらめずに場を提供するテリエとモナの行動力はすごいな、、と素直に思った。そして、そんな「交渉の余地なんてない」と思える場において、風穴を開けてくれるのは、個人同士の信頼関係だったりするのだな、、と思いました。個人と政治は分けて考えるべきだ、と基本的には思っているし、きちんと当人同士はそれはそれ、これはこれと頭の中で分別しているからこそ(本舞台で言えば、わかりやすく部屋を分けているからこそ)、どんなに国同士が対立してある場合でも、友人関係を築くことはできる、そしてそれが対立状態に良い影響を与えることがある、というのは希望だ、、と思いました。(国家のような継続を前提とした組織において、個人同士の関係性に頼りすぎることは危険でもあるけれど)

同時に、交渉という場では「気持ちはどうあれ実利を取ろう」という考えが重要になる側面もあるのかな、とも思います。この場合は「無用な武力衝突は避けたい」という思いは両者で一致しているから、これまでの経緯とかその他譲れない論点(エルサレムの扱いとかね)を保留にしてでも合意を目指そうとする姿勢になるのが理想的なのだろうな、と。ウリとクレイの散歩中の会話の「両国とも過去を生きている」というセリフが顕著かなあ、と思っているのだけど、一方でその言葉を引き出せたのも二人の信頼関係があってこそ、、と思うと情と理のバランスって難しいな、と思う。(感情面を乗り越えて実利を取るために感情面の整備が必要、みたいな、、、)しかし、対立している人たちが合意に向かっていくには、地道に、小さいことだとしても合意できる点をみつけて(この舞台では最初に提示されるのは民間レベルでの経済協力)、それをきっかけに大きな目標を共有していき(武力衝突はいやだ)目線を上げさせていくってことしかないのかなあ、と。(地道にやることを選択したテリエたちは本当にすごい)

こうして(?)さまざまな苦労の末に歴史的なオスロ合意にたどり着くわけですが(パレスチナ側の「みんな泣いているんだ、生きてこの日を迎えることができると思っていなかったから」のセリフにグッとくる)、結論から言うとオスロプロセスはうまくいきませんでした。
関係者の多くは過激派によって暗殺されてしまったりするし、過程は割愛させていただきますが、中東問題は2021年の今も全く解決していません。ガザ地区はまだパレスチナ難民であふれかえっている。その旨、舞台のラストでもきちんと説明されます。

「やっぱり世界は変わらない」。それは否定しようもない事実だな、と改めて思った。一歩一歩進んでいっても、ちょっとしたきっかけで(天災や世論の傾き、突発的な衝突とか)すぐにひっくり返されるし、オスロ合意を推進したのが個人同士の信頼関係だったのと同様に、逆にすべての人が同じ方向を向いて対立や理不尽な嫌悪感をなくすことなんて正直絶対無理だと思う。だからこそ、関係者は暗殺されてしまったわけで。

中東問題は私には少し遠い問題で手触り感がないけれど、身近なところでもうっすらとした他国に対する差別的発言を耳にすることはあったり、アメリカや欧米ではコロナをきっかけにアジア人差別が強まっているようだし、問題をすり替えれば当事者にもなる可能性は全然あって、そのどの問題でも最終的には「世界が変わることはない」という結論に達してしまうのだろうな、と思う。

ただ、じゃあ諦めるのか、何もしないのか、というのはまた別の問題であるのだなあ、というのもOsloで感じたことです。

ラストのオスロ合意後の顛末を語るシーンには一つだけ救いがありました。
「ウリとクレイ、またその娘たちはまだ連絡を取り合っている」
どんなに国同士の問題が解決しなくても、個人同士で結んだ信頼関係はそうなくならない。
理想論かもしれないけれど、個人の意識を変えていくことで、劇的には変わらなくても、少しでも良い世界に近づくってことはないのかなあ、と祈ってしまう。

また、「世界は変わらない」と感じることができたのは、テリエたちが動き、世界を変えようと試みたからでもある。諦めて行動しないままでは、「世界は変わらない」という事実にたどり着くことすらできないんだな、と。お互いに不満を認め合うから、歩み寄ることができるわけだし、「世界は変わらない」「だけど、それでも」「じゃあどうする?」まで考えていくしかないんだろうな、と思ったのでした。諦めずに理想を掲げていかないと、少しの進歩も無くなってしまうから、意味がない、無駄だ、無理だ、と自分に言い訳していくのはやめたいな、まずは自分の意識からだな、と思うわけで。

行ったり来たりでわかりづらい文章になってしまいましたが、Osloの感想でした~。見に行って良かったな!