沼落ちはとつぜんに

唐突にセクゾ沼に落ちた大人。語りたいので作りました。

【回顧】良い子はみんなご褒美がもらえるのか

今となっては信じられないことですが、わたしは去年のちょうど今頃、舞台「良い子はみんなご褒美がもらえる」に通ってました笑

 

「自由とは何か」「権力とは何か」「正しさとは何か」を問いかけていたあの舞台を今思い返すと、なかなか感じ方が変わってくるなあ、と思うので再び回顧してみることにしました。

 

良い子~のパンフレットの中の「若者の自由」と銘打たれた橋本くんとシムウンギョンさんの対談の中でシムさんが「自由は生きているときから持っている権利で、当たり前だと思っているけれどー」というようなことを言っていた。確かに、我々世代はいままで、先人たちが獲得してききてくれた様々な「自由」を享受して生きてきた。けれど、いま、生まれて初めて、「物理的に自由が制限される」という事態に直面していると感じている人が多いと思う。(いうまでもなく、外出自粛とか)

でも、日本においては今のところ、何一つ強要されているわけではなく、それぞれの自主性に任されている状況である。ある種、私たちはまだ「自由」なのである。

なぜ、強制力もないのに、私たちが外出しないか(ひとにもよると思うけれど)というと、たぶん二つ理由があって、一つが「ウイルスそのものが怖いから」そしてもう一つが「世間の目が怖いから」だと思う。

昨年のいまごろ、良い子を見るにあたって、冷戦期の世界の分断と、そのための世論形成と言論統制についての記事を書いたけど、今後似たようなことが起こるんじゃないかなあって怖くなってしまう。

 

kataritagari.hatenablog.com

 

良い子~に当てはめると、ウイルスは、アレクサンドルとイワノフを閉じ込める精神病院そのものだともう。それを怖がろう、抗おうとするのは、正しい心の動きだ。

一方で、そんなに精神病棟からの「釈放」を望んでいなさそう(関心がなさそう)に見えるイワノフが「オーケストラはいない」と答えるのは、周りがそう言えというから、嫌われたくないから、という思いからだったと思う。これはいま私たちが縛られている「世間の目が怖い」という気持ちとイコールだと感じたりする。

「オーケストラはいない」と宣言した後、イワノフの頭の中で鳴っていたオーケストラの演奏は止まってしまうけれど、それは精神病棟、今でいえばウイルスでも縛ることができなかった頭の中の動きや想像力が世間の目に縛られて死んでしまった瞬間なんだなあ、と最近考えるようになった。

また、最近の感染源探しや、感染者へのバッシングとまではいわないものの冷ややかな目(あの人は遊び歩いていたらしい、みたいな、、)のを見ていると、良い子~の中で物の呼び方と実体が乖離していた(病室と呼ばれているが実質監房だったり、医者と呼ばれる大佐とか)っていうのを思い出してしまう。感染者は犯罪者じゃないのに、いまや感染者が犯罪者のようだなあと。

この感染者だったり、政権だったり、あとは某国だったり、わかりやすい怒りの矛先にみんなが向かっていく感じ、世界が善悪に分断されていく、、、って頭を抱えてしまう。怒りもまた、私たちの想像力を奪ってしまう気がする。感染者の人が、その遊び場と思われるところに行っていたのは何らかの事情があったのかもしれない、買い占めに見える人は大家族なのかもしれない。余裕がなくなってくるとそんなやさしさがなくなってきちゃう。

また、在宅勤務が主流になると、この分断というか、個人主義みたいなものが進んでいく気がするなあ。オフィスだったらできる、あの人忙しそうだから手伝おうかな、みたいなのができなくなって、よくも悪くも仕事のテリトリー化が進んでいってしまう。そうすると他人に対するちょっとした思いやりみたいなのが少なくなって、自己責任論みたいなのが蔓延していくんだろうな。他人の泥もかぶらなくて済むけど、いざというとき助けてもらうことが難しくなる。(これはめちゃめちゃ自戒も込めて)それが国レベルになるといわゆる孤立主義というやつになり、その先にあるのは、、、っていうのは皆さん近代史で学びましたよね。暗澹たる気持ちになりますね。いまは人やモノの国境を越えた交流がかなり難しいから仕方ないけどね。近年のダイバーシティとか、男女平等とかの流れを止めたがっている人たちとかが、こういう世界的危機に乗っかったりして、せっかくちょっとずつ進んできた世間の意識改革みたいなのも後戻りしちゃいそうな気がするね。何の話だったっけ?

 

良い子~のイワノフはひょんなことから自分の脳内のオーケストラを取り戻したけれど、私も脳内の自由だけは、SNSに蔓延する情報とかに奪われないようにしないと、と思うし、無意識のうちに他人の自由を奪わないようにしないとな、と思います。

良い子~では、もう一人の主人公アレクサンドルは「1+1は必ず2」「正しいことを恐れず言え」と言っていたけれど、それもまた、「正しさ」に縛られているし、人間正義の側に立った時が一番他人の自由を奪うので(めぐりめぐってそれでイワノフのオーケストラは一度死んだので、、、)とあらためて。

そして何より今現在、正しさってなんだ?ってかんじですしおすし。今に限らず正解って変わったりするし、天動説と地動説みたいな。やっぱり正しいっていう思い込みが一番怖いな。

「良い子はみんなご褒美がもらえる」って改めてすごいタイトルだなあ。先が見えなくて良い子にしてたところで、本当に今までの日々は戻ってくるのか?と疑っちゃう毎日ですね。良い子はみんなご褒美がもらえるのか?わからんから良い子にしているだけ無駄じゃね?という思考回路になりそうです。先が見えないからこそ良い子にしていない人にイライラして攻撃したくもなるし。

けれど、自分が思う良い子はみんなの良い子ではないのです。ということはみんなが良い子であることなんてありえないのです。それでもみんなはご褒美(=自由)をもらう権利があるのです。というところまで一年かけてようやく思考が至りましたとさ!ちゃんちゃん!良い子~の原題はevery good boy deserves  favourですが、everyone deserves favourな世界にしていきたいね。

 

早くコロナ終わるといいね。橋本くんに会いたいよう。