「良い子はみんなご褒美がもらえる」に見る善悪二元論の脅威-冷戦期と現代-
良い子はみんなご褒美がもらえる、千秋楽おめでとうございました!
大好きな橋本良亮くんが出ているというのももちろんだけど、想像以上に作品にハマってしまい、遠征も込みで4公演笑。正直やりすぎたな〜というところもあり燃え尽き気味ですが本当に楽しい1ヶ月弱でした。
初日の直後に感想第一弾は書いたんですが、千秋楽まで終わったのでもう一度感想をまとめておきたいと思います。
私は大学生の時冷戦(特に民衆の意見の形成やプロパガンダあたり)のお勉強をしていたので(身バレ)、その辺と絡めて書けたらな〜と思い今回のテーマを設定しました!
ただ、ピー年前超絶片手間に勉強していたガバガバの記憶とGoogle検索が元なのでソースはあってないようなものです!歴史的背景とか興味持った方は私のブログを信じないでちゃんと調べてみてくださいね!(無責任発言)
- 1.あらすじ
- 2.冷戦とは何か
- 3.「良い子―」の時代背景(プラハの春、デタント、新冷戦)
- 4.冷戦期における民衆の意見形成(冷戦コンセンサスの形成と善悪二元論)
- 5.「良い子―」に見る冷戦の影響
- 6.良い子―の現代的意義における橋本良亮の存在と解釈
- 7.「良い子―」からの教訓
1.あらすじ
まず、見てない方(見てない方が読むとも思えないけどw)もいると思うので舞台のあらすじです。
役名がややこしいので基本的にキャストさんのお名前で記載します。
とある精神病院に、堤さん演じるアレクサンドル・イワノフ(以下堤さん)が転院してくるところから話は始まります。堤さんは名誉毀損で精神病院に入れられている政治犯です。 同じ病室に入院しているのは橋本くん演じるアレクサンドル・イワノフ(以下橋本くん)。 彼には実在しないオーケストラが見え(聞こえ)、トライアングルを使ってオーケストラの指揮をしています。 同室になった堤さんにも「楽器は何?」「練習しろ!」などと言っており、世の中の全てをオーケストラの一員として捉えているのかな?という印象。 二人は入院しながら、小手伸也さん演じる医者(以下小手さん)の治療を受けます。 橋本君は「オーケストラはいない、オーケストラなんていたことない、オーケストラなんていらない」と言う事によってオーケストラを持っているという考えから離れるよう指導されます。 素直に従う橋本君ですが、彼の中からオーケストラがいなくなることはありません。 一方の堤さんの病状は『正常な人間が精神病院に入れられている』という意見を持っていること。友人が理不尽に捕まり精神病院に入れられたことをきっかけにこの内容の手紙を外国のメディア等に出したことから逮捕されました。最初は軍の下部組織である「特別精神病院」に収監されていましたが、そこでの扱いの酷さからハンガーストライキを行い、軍の指示で面会に訪れた息子のサーシャ(彼の本名もまたアレクサンドル・イワノフ)の説得にも応じなかったことから、先進国であるはずのソ連でハンガーストライキで人が死ぬということを公にしたくない政府により、現在の「一般精神病院」に転院となったのでした。 小手さんの堤さんに対する治療の目的は、厄介払いのため退院させること。そのために堤さんに「治療のおかげで病気が治った。自分は今まで気が狂っていた」と認めさせないといけないのですが、堤さんの意思は固く、ここでも堤さんはハンガーストライキを開始します。 再び説得にやってきた息子のサーシャの説得にも応じず、衰弱していく堤さん。八方塞となったところで登場するのが、橋本君と堤さんを同室にした小手さんの上司であり権力者の「大佐」。 ここで大佐は(おそらくわざと)二人を取り違えた質問をすることで、二人を退院させてしまったのでした。
…とりあえず話の大筋はこんな感じです!この舞台はストーリーというより、いないはず(橋本君にしか見えないはず)のオーケストラが実際に舞台上にいて観客には見えていることとか、同じ概念を色んな言葉で表現すること(病室/監房とか)とかがキーな気はするんですが参考として、、、。
2.冷戦とは何か
今回は冷戦をキーに舞台の解釈を進めたいと思っていますので、まずざっと冷戦の説明をしたいと思います。
ウィキペディアの定義は下記の通りです。
冷戦(れいせん、英: Cold War、露: Холодная война)もしくは冷たい戦争(つめたいせんそう)は、第二次世界大戦後の世界を二分した西側諸国のアメリカを盟主とする資本主義・自由主義陣営と、東側諸国のソ連を盟主とする共産主義・社会主義陣営との対立構造。米ソ冷戦や東西冷戦とも呼ばれる。
つまり、イデオロギー(資本主義/社会主義)の違いを理由として、米ソを中心に世界が二つに分かれて対立しあっていた時代です。
核兵器を中心とした軍拡競争のみならず、宇宙開発やスポーツ、文化の面などでも米ソは競い合っていました。
またそれに巻き込まれる形で、東西ドイツのような分断国家が生まれたり、ベトナム戦争などの代理戦争が起こったり。
たしかに米ソ自体は直接戦争をすることはなかったですが、常に一触即発の暗い時代と定義できると思います。一部では「米ソの力が均衡したことにより戦争を回避できた」と解釈し、冷戦を肯定する論もあるようですが私はこれが大嫌いです(急に自分の意見)。だって代理戦争とか起こってて全然平和じゃないし、「良い子―」でも描かれているように言論統制があったりとか(これは後述しますがソ連だけではなくアメリカなどの西側諸国でも、です)まったく良い時代ではありません。冷戦は肯定すべきではない、というのが私の立場です。
3.「良い子―」の時代背景(プラハの春、デタント、新冷戦)
一口に冷戦、といっても1945(第二次世界大戦の終結)~1991年(ソ連の崩壊)まで、とかなーり長いので、良い子―の舞台となったと思われる時代について見ていきたいと思います。あ、念のためですが、本作の舞台はソ連(東側陣営)、作者はイギリス(西側陣営)の方です。
パンフレットによると、作者のストッパードがこの戯曲を書いたのが1970年、イギリスでの初演は1977年とのこと。書かれたきっかけはプラハの春(1968年ごろ)であるとパンフレットでは言及されており、劇中でも「ソ連のチェコスロバキア侵攻」について触れられていることから、やはり舞台の設定もプラハの春以後、1970年代と考えられます。
プラハの春は1956年のフルシチョフによるスターリン批判により、ソ連の下にいたチェコスロバキアで「人の顔をした社会主義」運動が勃発したものです。
余談ですが劇中で斉藤由貴さん演じる教師がサーシャに向かって「昔はひどいことがたくさんありました。でも今はもう違うんです」という場面がありますが、この昔はスターリンの時代と思われます。粛清による恐怖政治が行われていた時代っすね。
話を戻すと、プラハの春では民主的な社会主義が目指されましたが、ソ連のチェコスロバキア侵攻により改革は挫折します。
また、この直後、世界各国でデタントと呼ばれる緊張緩和が起こっていきます。実例はキリがないので割愛しますが(おいw)、核戦争直前までいった1962年のキューバ危機の反動で、米ソ対話や軍縮交渉が行われた時期のことです。
このまま冷戦は終焉に向かうのかなーと思うじゃないですか。それがそうもいかないんですね、、。
1970年代後半にはアメリカ国内でデタントへの批判が高まり、新冷戦に突入していきます。1980年には西側諸国がモスクワオリンピックをボイコットしたり、1981年には「強いアメリカ」を標榜したレーガンが大統領選に当選したりしてますね。
まとめると(?)、「良い子ー」の舞台は東側では社会主義というイデオロギーの揺らぎが起こっている時期といえると思います。そしてその背景には西側の情報が入ってきたことなんかもあるんじゃないかな、たぶん。西側は西側で、緊張状態への国民のストレスがナショナリズムに転換されつつある時代かなあ。
あとはプラハの春、デタントに象徴されるように第三世界だったり、米ソ以外の立場が出てきた時代っていうのもポイントかもしれません。
4.冷戦期における民衆の意見形成(冷戦コンセンサスの形成と善悪二元論)
ここまで冷戦の流れを見てきましたが、冷戦期って、アメリカもソ連もやらなくちゃいけないことがありました。
それは国内の「冷戦コンセンサス」の形成です。つまり、国民を一致団結させて、相手と戦わないといけない。本当の戦争じゃないから、徴兵とかはないけれど、軍拡とか宇宙開発とか、対決にはお金がかかるんですよ。そうじゃなくても選挙に勝たないといけないし。
そこで、世界を覆ったのが(政府が好んで使った、とも言えるかな)「善悪二元論」です。簡単に言うと、世の中には善と悪、敵と味方という二つの概念しかないという考え方ですね。
味方じゃなければ敵!という極端な考え方なので、対立を生みやすい=国民をあおりやすいんです。アメリカ側でいうと、「ソ連をほっておくと、周りの国がみんな社会主義国になってアメリカが攻撃される!!やばいよ!!負けられないよ!!!」と国民をあおりまくったという感じです。
この流れの中で、東西どちらの陣営でも、個人の意見だったり表現の自由っていうのは制限されていくようになるわけです。アメリカの赤狩りだったり、ソ連の粛清だったり。冷戦ってそんな時代です。
あとは、言葉遊びみたいな側面もかなり冷戦っぽいな!と思いました。
冷戦期って直接戦ってないからこそ演説だったり文書だったりの言葉選びがすごく重要な意味を持っていました(冷戦レトリックと呼ばれるやつですね)
たとえば、冷戦の始まりそのものが、トルーマン大統領の1947年の演説(トルーマンドクトリンと呼ばれるやつ、共産主義のドミノ現象が起こる!と主張)だったり、レーガン大統領がソ連を「悪の帝国」と呼んだことが新冷戦を深めていったり。
偉い人たちがどういう言葉を使うか、で、国民の国際政治の捉え方が形成されていったんですね。これって良い子ーで出てくる「ここは檻房ではなく病室」「大佐ではなく医者」みたいな言葉遊びと似てませんか??偉い人がどう捉えるかで事実自体が変わっていく感じ、、、。
5.「良い子―」に見る冷戦の影響
よ~やく「良い子ー」の話です。前置きが長いww
良い子、見ているうちに、すごく冷戦の影響を受けている表現が多いな、と思うようになりました。
まず、堤さんですが、自分の意見が通り釈放されることを「勝ち負け」という表現にしているのがすごーく気になりました。これって善悪二元論の影響じゃない?と。
あと堤さんはずっと「正しいものは正しい!」と自分の意見を絶対に曲げないんですよね。たとえ死んでも妥協はしない。彼の頭の中には「正しい」「間違い」の2つしかない。たとえかわいい息子のサーシャに、嘘をついてでも戻ってきて!と言われても曲がることができない。
オーケストラは思い込みの象徴じゃないか、という記事を先日書きましたが、「自分は絶対に正しい!」という思い込みを橋本くんも堤さんも持っているのは時代背景もあるのかなあ、なんてね。
橋本くんも楽器について「俺、偏見ないから!」と言いつつ差別的発言を連呼するシーンがあるけど、あれも自分は善だ!という思い込みから自分が見えてないんだろうな、なんて思ったり。
自分の思う正義を貫こうとするあまり自滅に向かっていく堤さんは、冷戦の時代へのアンチテーゼとも取れるんじゃないか、という話でした。
6.良い子―の現代的意義における橋本良亮の存在と解釈
「良い子-」が冷戦の影響を受けているのは分かったよ!じゃあなんで今更(しかも日本で)上演したんだよ!という話をします。
あらゆるところで演出家さんが話していたと思うんだけど、現代もある種当時と似たところがある、だから上演したよって話がありました。フェイクニュースやSNS上での無言の言論統制みたいな、、。
それを踏まえて橋本くんのキャスティングの理由を考えるとやっぱりSNS世代に見てほしい!っていうところが大きいと思う。(シンプルに興行面とか橋本くんの演技とは別にね)
当時と今は確かに、少し似通ったところがあります。世界各地でナショナリズムが台頭してきているし(アメリカのトランプはレーガンの再来、と言われているし)、無意識のうちに我々の世論が体制側(仮)によってコントロールされている気がする。これが企画の時点での意図だったんだろうな、と思います。
これをさらに深めてくれたのが橋本くんの本作への解釈だと思っていて。
パンフで「イワノフは自由なようで自由じゃない。嫌われたくないという思いから意見を言えなかったりする」というようなことを橋本くんが言ってました。
小手さんの治療を受けた後、「オーケストラはいない!」って宣言するシーンのことだと思うんだけど、すっごく橋本くんらしい真っすぐでわかりやすい解釈だなと思ってちょっとわらちゃったんだけど笑
「嫌われたくないから自分の意見をしまう」のは現代の若者そのものだなあと思いました。昔雑誌で「1日3ツイート以上するとモテない」みたいなの見たことあるけど(ツイ廃はここで墓を建てる)、自由に発言できる場が与えられた結果、逆に規制が増えている。
あとは芸能人の発言やバズッたツイートに自分の意見を左右されちゃうときってあるよね。別に欲しくなかったものが欲しくなったりとか。
橋本くんの演じるイワノフは、堤さんにちょっかいを出すかまってちゃんでありながら、怒られないように医者の言うことは聞きという役作りで、承認欲求(発言したい!いいねされたい!)とでもそれによって嫌われたくない気持ちが共存した見事な現代っ子でした。
爆裂モンペ発言だけど、橋本くんのおかげで、この作品を現代に落とし込むことができたと思ってる、マジで。
7.「良い子―」からの教訓
ようやくまとめだよ!
「良い子ー」から得られる教訓は、善悪みたいな二極構造で思考を止めないで、自分の頭で考えなさい、ということだと思っています。
正しいものは正しいと思い込むあまり周りが見えなくなる堤さんは、体制の意見に抗っているという意味で、同調圧力に屈しず自分で考えていると思ってるんだろうけど、でも結局考えることを放棄しているな、と思うんです。
世の中は必ずしも白黒はっきりすることばかりではありません。
良い子の時代は第三世界が台頭しはじめた時代ですが、世の中「グレー」ってあるんですよね。
その可能性も含め、自分の頭で考えること、見えるもの見えないものを疑ってかかること、の重要性を教えてくれた舞台な気がしています。向かいから見ると右は左で左は右なんですよ。だから、呼び方によって病室は監房になるし、大佐は医者になるし、白衣さえ着ちゃえば病人は医者になれる。長々書いた割によくわかんないけど!真実はいつも一つじゃないの!!!というのがこの舞台の学びかなあ。
逆に白黒はっきりさせようとすると考えられなくなるし、逃げ場もなくなるし、世の中争いに向かっていくんだよね。その辺の警鐘を現代に鳴らしてるんじゃないかなーと思ったり。
自分の経験に落とし込んでも、自分が正しい!と思っている時こそ周りが見えなくなって独りよがりになりがちですよね。そんな時にこの舞台のこと思い出せたらいいな、、。
以上です!!
ラストの解釈とかも本当は考察したいけど無理そうですね!!!本当に考察のしがいのある面白い舞台でした!!!
自我を失ったように見に行った舞台だったけど、ジャニーズにはまる前の自分のことを思い出したり、最終的に自我を取り戻した感じがしてます。
それにしてもかまってちゃんなイワノフ(橋本くん)めっちゃワンワンでかわいかったよね!?ねえねえできるようになったよ!みたいなどや顔で小手さんの前で「オーケストラはいない」と言い出すシーンが好きでした!!!
もしここまで読んでくださった方がいたらありがとうございました!!なげえな!!!