沼落ちはとつぜんに

唐突にセクゾ沼に落ちた大人。語りたいので作りました。

きみに贈るI love you-22歳の松島くんに寄せて-

松島聡くん、22歳のお誕生日おめでとうございます。松島くんのお誕生日を祝うのはこれで4回目。わたしが松島担を名乗り始めてからは3回目のお誕生日。あらためてこの3年間、私自身にもSexy Zoneにも色んなことがあって、そしてそのそばにはいつも松島くんの存在があったなあと思います。

そして、今年のお誕生日は、そんな松島くんがお休みに入ってから、丸一年の日でもある。

一年が経つということは、365日が経った、ということ以上に、色んな事が一巡したということだなあ、と思う。松島くんのいないアルバムが出て、松島くんのいないツアーが終わって、松島くんのいない冠特番が放送されて、松島くんのいないシングルも出た。いま私の部屋の壁にかかっているカレンダーにはかろうじて松島くんがいるけれど、それももうすぐ終わりだ。

正直に言うと、寂しさはもちろんある。でもそれ以上に慣れてしまった部分が大きい。私はそんなに強い人間じゃないから、ことし本格的に掛け持ちを始めちゃったし、一方でそのことに対する罪悪感もずっとある、そんな一年でした。

お誕生日なので、久々に松島くんのことに向き合って、どこが好きだったのかを考えてみると、私は彼の「人間っぽさ」に魅力を感じていたんだと思う。

「家から1歩出たらアイドルだと思ってます!」という松島くんの言葉が大好きだった。いつ何時も気を抜かないプロ意識と、笑顔(と仕事の前からきちんとセットされた前髪)で武装してステージに立っているもろさが垣間見える、松島くんを象徴する発言だなーってずっと思ってた。

松島くんに限らずだけど、私はアイドルを応援するとき、この「人間っぽさ」を彼らに求めてしまうところがある。私と同じ人間であるアイドルたちが、私には決してできないような努力とそれに裏付けられたパフォーマンスを見せてくれる時、私は「自分にも何かすごいことができるかも!」という勇気と、「同じ人間なのになんてダメなんだ」という絶望を同時に感じる。

スポーツでもなんでも、生身の人間によるエンタメに求めるものって大抵の人がこういう部分なんじゃないかなって思う。

(だからこそ、アイランド初演の勝利くんの告白シーンや、ジュニア8.8みたいな踏み込みすぎた(と私は感じる)ものもエンタメとして成立してしまうんだろうな。賛同はしてないつもりでもドルオタであるというだけできっと私も罪の一端を担っている)

あまり、アイドルという仕事と松島くんの病気を結びつけることは好きではないんだけれど(病気自体、誰でもなるものだと思っているから)、彼の「人間っぽさ」や垣間見える弱さを好き、だと自認していた私は、どうしたって罪悪感を感じてしまっていて(おこがましいですね)、ずっと「松島くんを待っている」ことや「帰ってくる居場所を守る」ことに固執をしていたと思う。

でも一年経って「松島くんの不在」に良くも悪くも慣れてしまった今、それって松島くんが好きだからじゃなくて、自分を好きでいたい、自分を守りたいだけなんだなと思った。勝手に私が感じた責任を勝手に果たそうとしているだけで、お休みしている松島くんをいつまでも「アイドル」に縛り付けているだけなんじゃないかなあって。

わたしが初めて行ったSexy Zoneのコンサート、2017年のStageで、序盤にマリウスくんが英語でこんなあいさつをした。

「ここは’僕たちの’Stageです。今日は音楽やパフォーマンスで皆さんにエネルギーを与えます。だから、皆さんも’皆さんの’Stageで輝いてください」(ニュアンス)

これを聞いたとき、結構衝撃的だったというか、ある種突き放されてちょっぴりさみしさを感じたのをよく覚えていて。でも同時に、アイドルという存在とファンの間にきっちり線を引いて、自分の目標や夢とアイドルという存在を混同しないようにしてくれるSexy Zoneの聡明さとやさしさに感動したんだ。彼らのファンである私と、私の人生を生きる私が同時に存在するということを、Sexy Zoneは肯定してくれたんだと思う。当たり前のことを言っているようで、人に複数の立場や生き方が存在することを肯定してくれたこと言葉は、アイドルに「人間っぽさ」を求めてしまう罪を感じている私にとって、ある種の「赦し」だったと思う。

だから、私も同じことを松島くんにできたらなあ、と思う。寂しいし、寂しい!早く帰ってきて!と口に出しちゃうときもあると思うけど、お休みの間は松島くんという人間とアイドルというお仕事の間にきちんと線を引いておきたいと思う。アイドル松島聡と、人間としての松島聡が同時に存在すること。頭ではわかっているつもりでも混同しがちな二つの存在の間にきちんと線を引く。それがファンからアイドルにできる唯一の救いだと思う。

わたしのもう一人の自担である橋本良亮くんが、ラジオの企画でI love youをジャニーさんに昔言われたという言葉を引用してこんな風に訳していた

「代わりなんていくらでもいるんだよ」

最初は???って思っていたけれど、しばらく考えて、ジャニーさんはとてもやさしい言葉をタレントに送るんだなあ、と腑におちた。「代わりはいる」というのは、替えの効かない、穴をあけられない、というプレッシャーの中で日々戦うアイドルたちにとってきっと一番の救いの言葉だ。

ずっと、居場所をまもらなきゃ!と躍起になっていたけれど、私の心の松島くんが占めている場所は、何かをどけて空けた場所じゃないもんなあ、と一年過ごしてようやく気が付いた。気が付いたら、その愛嬌で、そのダンスと歌声で、松島くんが私の心に「居場所を作った」んだって。

居場所を守らなきゃ!と思い続けなくたって、松島くんはきっとまた自身の力で私の心に居場所を作ってくれるとわたしは松島くんのことを信じることを忘れちゃってたなあ、ってすこし反省してしまった。松島くんのパフォーマンスには信頼しかないのにね。

「代わりなんていくらでもいる、でもできれば君がいい」

これが、私が22歳の松島くんに贈るI love you。

改めて、22歳のお誕生日おめでとう。君のもとに幸せがいっぱい届きますように。

 

f:id:kataritagari:20191125232400j:image