沼落ちはとつぜんに

唐突にセクゾ沼に落ちた大人。語りたいので作りました。

応援屋とコイベビ〜アイドルと他者評価〜

おいお前は2016年を生きているのか!?という感じですが、大好きな「ABC座2016 株式会社応援屋‼~OH & YEAH~」と「音楽劇コインロッカーベイビーズ」の話をします!!(突然)

というのも、この2作品は私が本格的にA.B.C-Zを追いかけようと思ったきっかけであり、私のアイドル観を作った作品たちだからです。とは言っても応援屋は昨年ブルーレイで見て、コイベビも再演の橋ハシキクきゅんしか見てないんですが、、笑

 

一見に似ても似つかない応援屋とコイベビ、わたしが思う共通点は、どちらも「他者の評価を通じて自我を確立していく話」であると言うことで、それってアイドルという存在そのものだな!?とか思ってコネコネして一年ちょっとが経ちました。のでここらで考えをまとめておければなーって思っています。

 

目次

 

1.舞台概要

(これ読んでくれてる人はどっちも見ている気がしますが笑)まずはこの2作品の概要をざっと説明したいと思います!圧倒的主観ですが!w

 ①株式会社応援屋‼~OH & YEAH~

2016年のえび座、応援屋!

演出は少年隊の錦織さん、音楽はノーナリーブスの西寺郷太さん(ジャニオタ的にわかりやすくいうとV6のSexy!Honey!Bunny!とか作った人)が全編書き下ろし!曲はオシャレだし当て書きの設定も最高!何かにつけてサイコーアンドサイコーの舞台です。

あらすじをちょ〜雑に説明すると笑、橋本くん扮するいしけんが作った応援屋という会社に戸塚くん、河合くん、塚田くんが加入して、プロ棋士の五関くんがコンピューター棋士へのリベンジをするのを応援する話です。因みに敵役のデジタルコープスの面々はトラジャとThey武道の皆さんがやっててこちらもシャブい。

2016年といえばゲス不倫の年だったりするんだけど、人の不幸で金儲けをするデジコーは週刊誌の比喩かなあ、とか、コンピューター棋士そのものもだし、あと戸塚くんの役がメチャメチャコンビニ人間っぽかったりして、色々時事ネタぽいのが入ってるのも好きです。具体的な地名とかが脚本に入っていて、リアリティを増してるのも見事だなーって思ってます。

とにかく!最高だから!!見たことない人!!!見て!!!!!円盤出てるよ!!!!!

 ②音楽劇コインロッカーベイビーズ

村上龍さんのベストセラーの舞台化。2016年にハシ-橋本くん、キク-河合くんで初演をやって、2018年に再演。この際はハシキク入れ替えのWキャストでの上演でした。

ざっくりとしたあらすじはコインロッカーに捨てられた赤ん坊の生き残りのハシとキクが一緒に育って、色々あってすれ違っていく話です(雑すぎんか??)

ハシは歌手になって有名になることで狂っていくし、キクは色々あって世界の破壊を目論みます(だから雑すぎる)

説明できないので、円盤にはなってないけど原作読んでください(丸投げ)ベストセラーなのでやっぱり面白いです。舞台なかったら読まなかったと思うからきっかけあって感謝〜〜。ずしーってかんじだけど。

 

新装版 コインロッカー・ベイビーズ (講談社文庫)

新装版 コインロッカー・ベイビーズ (講談社文庫)

 

 

 

2.共通点

このような2作品ですが、私が共通しているな~~と思ったことを2点にまとめてみました。

 ①「見捨てられた」登場人物

1点目は、どちらも主要な登場人物たちが何かから「見捨てられた」登場人物たちであるということです。

コイベビは言うまでもなく、生まれたその瞬間から、コインロッカーに捨てられた二人が主人公です。その記憶は強烈で、どんなに里親などから愛されても「世界から捨てられた」意識がキクとハシの根底にはあるように感じます。キクはこの意識を世界への敵意=破壊衝動、ハシは承認欲求に転換させていく。

もう一方の応援屋におけるA.B.C-Zが演じる主要キャラも、それぞれ何かから「見捨てられた」もしくは「リプレースがきく」という意識があるように感じます。

橋本くん演じるいしけんは、天涯孤独の天才。幼いころに親から捨てられている。

塚田くんのくりくりは、プロ棋士を目指していたものの年齢制限の壁で挫折。棋士=何者かになれない、その他大勢である自分を自覚した結果の引きこもりかなあ、と。

河合くんのシューヤ先生は、予備校の先生という天職についていたのに、失言という仕事とは関係ないことで職を追われてしまう。自分の代わりっているんだっていうショックはきっと大きかったんじゃないかなあ。

戸塚くんのジョーも、元々はコンビニアルバイター。勤続10年でも待遇は上がらず、替えのきかない何者かになることを最初からあきらめているように見える。

五関くんの桂馬さんは、人生を賭けてきた将棋でコンピューターに負けてしまう。自分の代わりがいるどころか、それが人ですらないという絶望は計り知れないなあと。

 

こんな感じで(?)、コイベビも応援屋も、「人から必要とされない」「必要とされていてもそれはかならずしも自分でなくても良い」という思いを持ったキャラクターで構成されている舞台だなって思っております。

 

 ②”他者”の必要性とアイドル

 二つ目の共通点は、他者の必要性かなーっと。

コイベビではやっぱり、生まれた瞬間に捨てられたキクハシなので、「人に必要とされないと死んでしまう」という意識を強く感じます。(特にハシ)

ハシがDに体を売ることや、歌手になった後もどんどん過激なパフォーマンスに走っていくところなんかに、「人に必要とされるためにはどんな犠牲も払う」という気持ちを感じて切なくなる涙。終盤の「ねえ、僕は役に立つ?」ってDに言い募る場面が象徴的だなーって。

ハシはわかりやすく歌手(というか自分の人生をも売り物にするスター)という職業を選びますが、捨てられないように自分のすべてを売り物にしていくところはアイドルと通ずるものがありますね、、。

 

応援屋は、応援屋というビジネスそのものが、「応援される人」=他者を必要とする仕組みだなあ、と思っています。

「代わりのきかない何者か」になれなかった五人が、「誰かの何者かになりたい」という夢や目標をかなえるために、「応援屋メンバー」=何者かになるストーリーと感じていて、やっぱり一回挫折した人たちだから応援の必要性とかをわかっているのかなあ、なんて思います(このストーリーがA.B.C-Zに当て書きされたありがたさにそっと手を合わせたい。えびもやっぱりジュニア時代苦労した分ジュニアに対してやさしいなあって思うことが多いので)。

これってアイドルの存在にも当てはまると思ってて、応援屋の中で社長が「アイドルはファンとの関係性が作るもの。ファンがいるからアイドルはアイドルになれる」と言いますが、やっぱりアイドルってファン=他者がいないと存在できないもので、そういう意味でも応援屋はアイドルのオマージュなのかなあ、と思っております。

 

コイベビのハシも(芸能人だからというのもあるけど)、応援屋メンバーもこのように、一般的な人々よりも他者への依存度が高くて、他者の目を気にしているってのが共通点かなあ。ただ、そのことの影響は結構対照的だと思っていて、それは次の相違点に書きたいとおもいます。

 

3.相違点

こんな風に前提事項が結構一致する2作品なのに、コイベビは暗い!応援屋は明るい!(雑か??)なんでだろー!って話をします。

 ①欲求のレベル

一個目に思ったのが、「他人に必要とされたい」という欲求のレベルというか方向性が異なるということ。

私もあんまり詳しくないのでアレなんですが、マズローの欲求5段階説というのに当てはめると分かりやすいかなーと思い。

 

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超適当に説明すると、人間の欲求は5段階に分けられて、下の欲求が満たされると上の段階の欲求が出てくるというヤツです。

最初の段階は、生理的欲求=生きていくのに必要な食べ物とかそういう本能的なやつです。これが満たされると次が安全欲求、安心安全な暮らしを求めます。

その次が社会的欲求で友人や家族から受け入れられたい、どこかに属したいといった欲求。次の段階は承認欲求で他者から尊重されたい、認められたい。最後が自己実現欲求、自分の価値観に基づいた「あるべき自分」でありたいという欲求になります。

 

一見、「他者から必要とされたい」というコイベビ、応援屋での欲求は4段階目の承認欲求かな、と思うんですが、よくよく考えるとどちらもそうと言い切れないかなと思っていて。

コイベビではやはり生まれた瞬間に他者にいらない、と言われた結果死にかけている人たちなので、「他人に必要とされたい」は承認欲求よりも2段階目の安全欲求に近いのかなあ、と思っています。だからこそ欲求が過激というか、これを満たすためにはなんでもやる!という怖さがある。

応援屋は、第三段階の社会的欲求と第四段階の承認欲求の間かなあ。というのも応援屋メンバーは前述の通り、社会からはみ出した人たちで、うまく社会に属せていないという思いを抱えているように見えるので。応援屋に入って、他人の応援をする=他者に求められることによってようやく何かに属せたという筋書きだと考えると、社会的欲求とも言えるかなあ、なんて思うんです。

このように、コイベビと応援屋では「他者に必要とされたい」というレベルが違うので、その後の行動や、行動が登場人物に与える影響が変わってきているかなあ、という話でした。

 

 ②他者を必要とする理由

 ①とだいぶ被っちゃうんですが、相違点2個目は「他者に必要とされたい」という思いの出どころです。

上述のマズローの欲求5段階説において、3段階目の社会的欲求までは外的欲求(自分以外の内部を満たすこと)、4段階目の承認欲求と5段階目の自己実現欲求は内的欲求(自分自身の内面を満たすこと)とされています。

これに照らし合わせると、コイベビは完全に外的欲求なんですよね。「求められないと生きていけない」という気持ちから、外からの評価を求めすぎて、ハシはどんどん劣等感とプライドをこじらせていくのかなあ、などと思っていて。他人と比べてどうなのか、他人と同じようにやれば人から求めらていきていけるのか、みたいな、、。

ちょっと話はズレるんですけど、コイベビから改めて感じるのは、劣等感と優越感って表裏一体だなーってことで、ハシもキクも場面によって「捨てられた劣等感」と「他人とは違う生い立ちである(特別である)優越感」を使い分けているように感じられてですね、、。まあ何が言いたいって、「生きるか死ぬか」みたいな低いレベルの欲求を抱えて生きてるハシはいつだって他人が評価軸なんだよなーってことです。

 

応援屋は逆に、内的欲求の側面が強いのかな?って思う。応援屋のライバル(?)であり、もともといしけんがいたデジタルコープスの面々が、自分たちのしている仕事のこと「暇つぶし」って言ってるけど、応援屋もある意味同じで、生きるためにどうこう、というよりより良く生きるための活動のように思える。そのより良く生きるトリガーが「他人に求められる(影響を与えられる、とも言い換えられるかな?」ことになっているのかなあ、と。

(いしけんはデジコーでは人を傷つけることを生業としていたのに改心して「幸せを循環させるビジネス」を始めるわけだけど、これはもしかしたら第五段階の自己実現欲求によるものかもなあ、と思いました、いま)

 

 ③他者への影響

相違点その3、他者への影響。

人間の承認欲求(他者に求められたい気持ち)っていうのは、自分の影響力を感じたい=他者へ影響を与えたいという気持ちとも言い換えられるかなあと思います。

そこでコイベビのハシは歌手になり、応援屋メンバーは「人の応援」を自分の仕事としていく。どちらも、「他者の感情を揺さぶること」を生業としていくわけですが、揺さぶり方が真逆だなーって思います。

ハシの歌は聞いた人の心を強く揺さぶって不安にさせる、というような描写が原作でされていると思っていて、さらに有名になるにつれて、ファンを殴ったり過激なパフォーマンスになっていく。これは他者への影響のベクトルがマイナスのイメージかなーって。あとはめちゃくちゃ心に踏み込んでくる感じがするんですな。影響の与え方が一方的というか自分本位というか。

応援屋のほうは、何度も同じことを言うんだけど、「他者の応援」=「幸せを循環させるビジネス by いしけん」なんですよ。いしけんが人の不幸で金儲けをするデジコーから転身してることも象徴的だけど、人にプラスの影響を与えてます。

(余談ですが、この人にマイナスを与えるビジネスからプラスを与えるビジネスに変わるのめっちゃモンスターズ・インクっぽいよねえ。好きのエネルギーも嫌いのエネルギーもすごく大きいっていうのは世界共通なのねえ、と思うし、だったら好き!を叫ぶことにエネルギー使うように心がけたいなーとか思う。余談でした。)

また、Change your mindの歌詞の中で、「土足で踏み込みごめんなさい」とか「あと一歩進んで」 とかあるように、相手への尊重を感じる。あくまでも応援ができることって、背中を押すことだけで、あと一歩のところまで進むのは相手次第なんだなあって思います。ジョー(戸塚くん)が終盤でいう、「僕たちには二人の悲しみは絶対にわかりません。でも、そばにいることはできます」ってセリフも大好きですな~~。

 ④他者からの影響

 逆に今度は他者から受ける影響について。

どっちも、他者を必要とする職業なので、他人から評価を受ける環境にいるわけですが、その影響のとらえ方もまた相違点だなーっと。

コイベビでは、ハシはひたすら他人からどう見えるか、を気にしていて、それでいて良い評価も悪い評価も否定し続けます(下手くそ!帰れ!のシーンとか、、)

やっぱり捨てられたハシなので、自己評価が低いから、自分に対する低い評価は劣等感を加速させるし、高い評価は信じられないのかなーって。他人の評価は全く自己肯定につながらないのがコイベビかなと思います。他者から良い評価を受ければ受けるだけ、自己評価と他者の評価が乖離して罪悪感を抱くという悪循環(マジで見ていてつらいけど個人的には身に覚えがありすぎて私の一番の拗らせポイント、、、w)

逆に応援屋は、他人に影響を与えるという気持ち、自分を前向きにさせてると思います。分かりやすいのはChange your mindの「僕も変わるあなたを支えることで♪」とかサポーターズ!の「僕も君に救われたんだよ♪」とかですかね。承認欲求の昇華先として、応援屋側も応援される主体を必要としている、というか、、。

私は「優しさ投げれば優しさ返る」って言葉が好きなんだけど、やっぱり他者への影響と他者からの影響って表裏一体で、他人にプラスの影響を与えている応援屋は相手からプラスの力をもらうし、コイベビでは逆なんだろうなーなどと、、。

 ⑤アイドル(仮)と自我の距離-ハエと応援屋スーツ‐

 最後の相違点はそれぞれの職業=アイドル(仮)と自分自身の距離感だと思っています。

コイベビのハシは歌手になって、どんどん有名になっていくわけですが、その末に歌手(=アイドル(仮))の自分に飲み込まれて狂っていってしまいます。

その原因って、アイドル(仮)としての自分と自分自身が近すぎて混同していっちゃったからかなと思っていて。それはもともと自分の核だった歌・音を職業にしたこと(自分自身の望みと職業としての目標の境目があいまい)、職業としての目標(有名になる・売れる)ために、自分の生い立ちを利用してしまって、自分の人生さえも売り物として消費してしまったからかなあって。

応援屋は逆に、みんなもともとの目標とかではなく、成り行きで応援屋に入社します。あくまで社員・職業として応援屋メンバー(=アイドル(仮))になっているので、自分自身とアイドル(仮)を混同することがないのかなあって。(きっとそれぞれプライベートの時間もあるのだろう、と想像するわけで、、)

昔、キンプリの岩橋君が「僕がテレビやステージで素の岩橋玄樹を見せることは絶対にありません。巣の自分とアイドルの自分は全くの別物」と言っていたことがあったのだけれど、私の中で応援屋メンバーはこのイメージですな。

それぞれ、アイドル(仮)になるトリガーとなるアイテムが、コイベビのハシは「人の顔をしたハエ」、応援屋は「応援屋スーツ」だと思っているのだけど、ハシはハエを食べる(内側から変わってしまう)し、応援屋スーツは身に着ける(外側を飾る、内側はそのまま)なのがかなり象徴的だなーって思ったりする。

4.総括 

 ①アイドルとは

ここまで見てきて思ったのはアイドルは、他人(=ファン)がいて初めて成り立つ職業なんだけど、それがポジティブな循環になるか、ネガティブなものになるかは結構紙一重だなってこと。応援屋におけるプラスとプラスの関係みたいなファンとアイドルの関係は理想だけど、そうでもないことも多いなーって思ってて。というかコイベビに関わらずアイドルやスターが狂っていくお話ってフィクションノンフィクション問わず多いし、それって本人たちの性質もあるかもしれないけどやっぱり私たちファンが求めるからこそ、自分の人生を売りにしちゃうってところもあると思うから態度や発言には気を付けたいなーって思う。

ちょっとよくわかんなくなってきたけど笑、厚かましいかもしれないけど、応援屋みたいな、お互い様の関係をアイドルたちと築くのがファンとしての私の目標ですなあ。

 ②自分と他人の距離感

もう一つが、自分と他人の距離感のはなし。生きていく上で承認欲求を抱えていない人ってたぶんいなくて、誰もが「他人に必要とされること」必要としていると思う。程度の差こそあれ。

その前提に立ったうえで、他人とどう関わるか、どう評価を受けとるかで人生の幸福度が変わっていくのかなあっていうのがこの2作品からの個人的な学びです

常に他人や仕事相手に100%の素を見せる必要はない、応援屋スーツみたいなもので自分を守って、色んな自分を持つことは悪いことじゃないんだよーっていう、、。裏表があるのって悪いことってされがちだし、コイベビのハシとかもこんなん本当の自分じゃないって悩んだりしてるけど、そもそも本当の自分って何!?っていうのもあるし、お互いに幸せになるための使い分けはむしろ積極的にすべきかなって。人間関係も、アイドルとファンも。

そして、他人に影響を与えて評価されることが人生において必要になるのであれば、やっぱりハッピーを与える人間になりたいなー!とも思う。私も応援屋でありたい!!そのためにはある程度自己評価を上げていくこと、「別に自分で生きていけるけど、人に必要とされたほうが嬉しいじゃん!?」くらいのテンションでいることが大事なんかなーと思ったりしました。

 

延々と同じ話し続けただけなきがするけど、いったん終わり!コイベビと応援屋の話は一生します!!!!