沼落ちはとつぜんに

唐突にセクゾ沼に落ちた大人。語りたいので作りました。

「期待を裏切る」ジャニーズエンターテイメント-SHOCK、少年たち、ジャニーズ伝説-

先日、少年たち(映画)を見まして、割と最近Endless SHOCKに行ったりしたのもあって、真剣に「ジャニーズエンターテイメントのトンチキさ」について考えてみようと思いました。

ジャニーズの舞台ってよくわからないですよね。ちなみに私がみたことあるのは、ジャニーズアイランド(初演、2017秋)、少年たち(2017)、ABC座ジャニーズ伝説(2017、2018)、Endless SHOCK(2017、2019)、映像も含めると、少年たち(映画)、ABC座スター劇場、ジャニーズ伝説(初演)、応援屋です。

(ジャニーさん演出ではない応援屋はひとまず置いておいて)何がよくわからないか、というと、急な場面転換、話の筋の通らなさ、だと思います。そしてそれを気にさせない圧倒的にきらびやか(でちょっとおかしな)演出。どうしてこういう舞台になるのか、Endless SHOCK、少年たち、ジャニーズ伝説を元に考えてみました。あ、ここでいうジャニーズ伝説は20172018の事実に基づいた話を指します!笑

 

結論から申しますと、ジャニーズの舞台でジャニーさんが言いたいことってこれかなーって。

「観客の期待や世間の思惑を裏切ってこそエンターテイメントである」

というのも、この三作品は全て、「自らのエンターテイメントを追求するもの」と「世間一般」の2極構造として捉えられるかな〜と思うからです。

また、だからこそ、「世間/観客とのギャップを埋める」というのが、今後の課題になるような気もしています。

 

まず、一番分かりやすいものとして、Endless SHOCKについて。

このお話は、スターで天才であるコウイチが引っ張るカンパニーに、ブロードウェイのステージに立たないか、という話が来るところから始まります。

天才ではないが(つまり凡人)、努力でコウイチと張り合っているライバル(因みに今年はウチ)は夢が叶う!としてブロードウェイに立つことを推奨します。

一方の天才コウイチは「自分たちの追い求めるショーができるなら場所はどこでもいい。ON(ブロードウェイ)の先に何があるのか」と一旦立ち止まることを進言し、ライバルサイドとの溝ができていきます。

結局ブロードウェイには立つものの、失敗を恐れず「究極のショー」を求め変化し続けることを求めるコウイチと、分かりやすく「名声」「成功」を求めるライバルとの溝は深まっていくばかりで、決定的な事件(あの階段落ち、ライバルの嫉妬によるコウイチの瀕死)が起きてしまう。

ライバルはコウイチが帰ってくることを待ちブロードウェイの舞台に立ち続けるものの、客は減る一方。カンパニーを閉めるところまで追い詰められる、、、というのが大筋です。

私は、SHOCKにおけるコウイチ=ジャニーさん、ライバル=タレント/観客、劇場(ブロードウェイ/オフブロードウェイ)=世間、と解釈しました。ライバルがついてこなくなっても、世間がどうであっても、自らの道を突き進んでいくのがまんまジャニーさんのつくる舞台だなあ、と思ったので。ジャニーさんのつくる舞台はオタクはみにきても世間が受け入れるとはおもえないので、そういう意味でここではカテゴライズをわけています。

周りを気にせず突き進む一方、絶対にそっぽを向かれてはいけないのは、実際に舞台に立つタレントと観客だ、ということをSHOCKでは表されているような気もします。ライバルと決定的に対立した結果コウイチ(ジャニーズの舞台)は死に至るわけです。どんなに素晴らしい芸術でも実現性と観客がいないと成り立たないもんな、、と、、。

でも、ライバルが運営するコウイチ不在のショーは続かないわけで、世間を忖度したり流行りを追って同じようなものを作りづけるだけでもショーは成り立たない、どちらの要素も重要なんだ、というのがSHOCKから得られる教訓なのかな、と思っています。

Endless SHOCKは(リニューアル前見ていないのにおこがましいですが)、確か光一くん(役じゃない方)が、元々のストーリーがよくわからなすぎて、自分で脚本演出にに手を入れて少しわかりやすく整備した、何故なら分からないものを演じるのはタレントも辛いから、というような話をしていたと思います。このカンパニーのように決定的な対立と崩壊が起こる前に、光一くんが一肌脱いだのかな〜とか思うとなかなか趣深いっすよね、、。

 

次に、少年たちですが、ここでいうジャニーさんの立場は、囚人たち、というのが私の解釈です。

最初は看守長がジャニーさんで囚人たちはタレントかな〜なんて思ってたんだけど、ちょっと見方が変わってきて。

少年たちではまず、「俺たちは上等」の歌詞に象徴されるように、世間一般の倫理観みたいなものが取っ払われているような気がしていて(この点についてはメチャクチャ物申したいのだがとりあえず置いておきますw)、結局それがジャニーズエンターテイメントの土台なんですよね。前提から普通の舞台や映画とは違う。

その中で唯一、一般的(かどうかは微妙だけど)な正義を振りかざす看守長=世間の目、かな、と。

看守長に反発して、自分の信じる正しさのため、脱獄(=ショー)を繰り広げるっていうのが少年たちの構造なのかなーとか思っております。最終的に看守長も改心して、囚人たちも外(オタク以外も見るところ。かな?)に出てっていうのは、ジャニーズの世界観に世の中が追いつくっていうジャニーさんの夢の象徴なのかなあ。外の世界に出る=世界進出、みたいな考え方もできるのかな?と思ったり。

 

最後に、これらの思考にジャニーさんが至った経緯を考える、という意味でジャニーズ伝説。

初代ジャニーズの結成〜解散までを描いた本作ですが、アメリカでデビューできそうだったのに色々あって日本に帰国しなくちゃいけなくなって、アメリカでのすごさを周りは認めてくれなくって、解散、みたいな流れですね(雑すぎ)。

解散シーンで戸塚さん演じるジャニーさんが「君たちが新しい扉を開けたんだ。」と言いますが、初代ジャニーズの活躍やアメリカ進出は「世間の期待を裏切り続けた結果」という言い換えが可能かな、と。

一方で、アメリカで録ってきた歌が日本で認められなかったことで「裏切りすぎると受け入れてもらえなくなる」ということも同時に感じたんじゃないかと思います。だからこそ、期待を裏切ることで前に進み続けていた初代ジャニーズは解散を選ぶしかなかった、と。逆に言うと、世間に忖度するくらいなら続けなくていいって結末なのかな。やっぱりここが原点だから、新しいものの模索、世間を裏切ることはジャニーズエンターテイメントとは切っても切り離せないんじゃないか!というのがわたしの結論です。

 

やっぱり、ジャニーさんが作っているものって全くユーザーフレンドリーではなくて笑、興行っていうより芸術寄りなんだよね。観客に対する信頼がすごい。どんだけこっちで補完しなきゃいけないんだよ!!笑

でもこんなに不親切な作りなのに成立する(客が入る)ジャニーズの顔面力(と普段のコンテンツ力)ってすごいな、と素直に思います。

ただね〜SHOCKのところでも書いたけど、観客/タレントとの溝っていうのは絶対に埋めていく必要があって、

少年たちで描かれているみたいに、世間の方が追いついてくるならそれはそれでいいけれどなかなかそうもいかないと思います。

あくまで芸術品ではなくビジネスとしてやっていくならやっぱりもうちょっと観客に寄り添わなきゃいけないんじゃないかなーと思う。あとは演者と演出の溝も絶対あると思うし、正直。

すでに行われている試みとしては、光一くんのSHOCKへの手入れ、ジャニーさん以外が演出のジャニーズ舞台(応援屋とかね)、そして何よりタッキーのプロデュースが当たるのかなあ、なんて思ったり。

Jr.のデジタル進出とか、バーチャルジャニーズとかは、「世間を裏切る」と「時流に寄り添う」を両立しててすげー!!と思っています。今後求められるのはこういう路線かなあ。

 

全然まとまりがないのですが!以上で!!さようなら!!!