削ぎ落とすこと-コインロッカーベイビーズ感想-
先日、A.B.C-Zの河合郁人くん、橋本良亮くんが主演を務めた「音楽劇 コインロッカーベイビーズ」を観劇してきました。
私は初演と同じ配役(ハシ-橋本、キク-河合)を見たんだけど、これ逆にするってすごいな〜!逆パターンも見に行けばよかったな〜〜!と心から思いました、
そもそも、これを見に行ったきっかけはえび担の友人から昔見せられたえび座?のDVDに入ってた公演前の注意VTRで。
それぞれがその年にやった舞台のキャラに扮して映画始まる前のVTR風に注意点を紹介してるやつで、御察しの通り橋本くん河合くんはハシキクだったんですね。
で、コインロッカーベイビーズって聞いたことあるな〜そういえば村上龍の本って読んだことないな〜と思って原作を手に取ったわけです。
ジャニーズが舞台やったくらいだし、タイトルの響き的にも(?)ポップな話を期待してたんだけど、読んで見たら重いわ濃密だわでビックリしてしまい。
これ舞台化って無理じゃね??どうやったん??って思ってた頃に再演が決まり、興味本意でチケットを取って見に行ったわけです。
とは言っても原作を読んだのは結構前で、正直そんなに原作が好きだったわけではないのでストーリーうろ覚えで1回目を見たんですが、
本を読んだ時との印象の違いにびっくりしてしまって。
誤解のないように言うと、原作のあの独特な雰囲気自体は見事に再現されてるんだけど、自分の中で重きを置くポイントが全然変わって、その理由を見極めるために思わず二回目を見にいったわけです笑
で、思ったのが、映像化とか舞台化とかって視覚的な情報を「与える」ってイメージだったけど、物語を「削ぎ落とす」って効果もあるんだなってことです。
コイベビの原作は、長さも長いし、濃密だ結構複雑な話って言っていいと思うんだけど、
舞台にした結果、まあ2時間弱の中に収めるという中で、大事な部分だけを切りとったんだと思います。
しかもこの舞台はセットも衣装もとっても簡素で、効果音と演者の動きだけで表現してる部分が大きくて(例えば、アネモネの鰐はけっこうキーだと思うけど会話の中だけで表現されてたりとか)
役者の会話だったり関係性だったりに集中せざるを得ない作りになってるなあ、と。舞台になると本の時は三人称だった部分が全部会話で説明されるしね。
その分原作を読んでいない人にはストーリーが分かりづらい作りとも言えるんだけど、、そこは難しい部分ですね。
結果、舞台の方がハシとキクの関係性がハッキリ描かれていて、そこに注目できたのがすっごく面白かった!まあ、私がジャニオタで演じてるのがジャニーズの同じグループの二人だからそういう見方をしてしまうという側面ももちろんあると思うけど笑
ハシとキクは、生まれた瞬間親から、世界から捨てられたっていう意識が根底にあるから、「自分を求める他者」を信じることができなくて、だからこそ一番にお互いを求めているお互いが見えなくなっていって、二人の関係が壊れていくっていうところがすごく切ないなあ、と思いました。
あとは自らのことが恥ずかしい、キクといると自分を直視できないって言っていたハシの方が「島の誇り」、キクが「島の恥」になっていくのは象徴的だなって。本読んでる時はスルーしてしまっていたけれど。
そんな二人で一つで、一番お互いがお互いをわかっているのに、誰よりもわからない関係であるハシキクを入れ替えたってさ〜〜ほんと観に行けばよかったよ〜〜そんなん絶対役への理解深まるやん〜〜〜〜
あとは、橋本くんは本当にセンターが似合う人なんだなあ、と思いました。背も高いし、顔のパーツも大きいし(褒めてます)、ザ舞台体系!!
この舞台の1番の見せ場は、「狂っていくハシ」だと個人的には思っていて、ハシとキクはダブル主役だけどでもハシが主役だよなあ、と感じたんだけど、橋本くんのハシをみたからそう思ったのかなあ。その辺も河合くんのハシを見て考えたかったな。私が橋本くん贔屓だからってのももちろんあるだろうけど
備忘録的にダラダラ書いてましたけどよくわからなくなってきましたね!思い出したら追加しよ!コイベビ本当によかったよ!大阪も富山もがんばってください!!