沼落ちはとつぜんに

唐突にセクゾ沼に落ちた大人。語りたいので作りました。

転機を転機とする力 #わたしの転機

わたしの転機、という文字を見て、今年の24時間テレビのテーマ、「わたしの人生を変えてくれた人」というのを思い出した。なんかそういうの流行ってるのかな〜と。

それと同時に、わたし自身について少し考えてみたけれど、結論は「わたしには今の所転機も人生を変えてくれた人もないな」と思った。そんなこと言ったらそれで終わりじゃないか!とも思うのだけど。

もっと正直に言うと、私には「転機を転機とする力」がないのだと思う。

 

転機になりそうな瞬間は、いくつかあった。海外に憧れを抱くきっかけになった幼少期の旅行だったり、大学進学や就職のタイミングだったり。

けれどその度に、イマイチ自分(や自分の生活)を変える勇気や一歩が出ず、ついつい楽な方楽な方へと流されてしまうのである。

転機、という言葉は、もちろん「転ずる機会」なのだろうけと、「転ぶ機会」という考え方もあるのかな、と思う。

自分で言うのもどうかと思うが、私は結構なんでもそこそこできる方だったので、ついつい、転機となり得る機会に転ばぬ先の杖を出してしまうのである。というと自分に甘すぎる気もするけれど。

私が中学生くらいな時に、プロポーズ大作戦という過去なやり直したいところへタイムスリップするドラマがやっていたけれど、あれはまさに転機となり得なかった転機を転機にしに行く話だったなあ、と思う。未だに同世代の間では「プロポーズ大作戦するならいつ!?」という話をしたりするので、きっと転機を転機にする力がないまま今まで生きてきたのは私だけじゃないんだろうな。

 

少し話が逸れたけれど、「転機」と言われるような思い出や機会いうのはきっかけですらなくて、やはりそれを産むのは「一歩踏み出す勇気」なんだろう。なにかを変えることはエネルギーや犠牲ががいるし、新しい道で何かに躓いてそれこそ転んじゃうかもしれない。

けれど、傷の治りが早い年代のうちに、一歩踏み出したいと思える何かに出会えればいいな、転機を転機にする力を身に付けたいな、と思う今日この頃である。